靖国参拝

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あまり考えたくない想像だが。
親しい人が誰かに殺されてしまったとする。
殺人者もすでに死んでいるとして、殺人者に敬意を払い、お墓に足しげく通う人間と快くお付き合いすることができるか?
答えは、Noだ。
個人的には、当然の感情だろう。

しかし、理性は別である。
亡くなった人を畏れ敬うのは古今東西、人として普通に行われてきたことであろうと思う。
そして、殺人を犯した人の関係者、、と自分が、仲良くしていこうという意思があれば、
殺人に関しては極力なにも触れないように、付き合いをすることになる。
とうぜん、彼の行為に関しても(気にはなるだろうが)突っ込むことはないだろう。
彼を嫌いになるとしたら、彼自身が信じるものではなく、自分に対する彼の行動に関してである。

ところで、恨みには、個人ではなく、集団のうらみつらみというものもあるのだが、
例えば、福島の会津と、薩摩(山口、鹿児島)も、仲が悪い。
歴史的には、明治の戊辰戦争までさかのぼることになるが、
未だに、会津の人は(特に高齢者において)薩摩の人との結婚を許さないとか、
いろいろなわだかまりをもっているようだ。

自分は会津出身ではないのだが、会津では郷土の歴史として他の地方の
何十倍も詳しく、生まれ育った街の侵略の歴史を学ぶのである。

もちろん、戦国時代の英雄は会津のみならず全国に祀られているし、
各地で参拝者が後を絶たないのだが、国内においては、どこどこの誰それが
どこに参拝に行った、、というのはさしたる問題にしないし、取り上げるべきことでもないとされる。

戦いの歴史、恨みの歴史は世界中にあり、(これらを取り除こうというのが人類共通の願いであることを自分も願う)
現在もなお脈々と続けられているのだが、
それらの評価は、個人が所属するレベルによって異なる
(家庭、学校、会社、人種、宗教、民族、言語、地域、国)などなど

国を中心にして考えると、それらの集団意識は国をまとめるのに利用される。
「日本語を話せない日本人」というのが日本人に想像しずらいような感じだ。
また、どこか別の国では「国教」を信じない人は国民にあらず、というような感じだろう。

これは、1を知って10を話すのに非常に便利だ。
数人の知り合った関西人が冷たい人だったばっかりに、「関西人は冷たい」と
いってのける関東人と同じ感覚で、
○○人より自分たちのほうが優秀な民族だ、といってのける人が世界中にいる。
当然、○○人、、には先ほどあげた、所属レベルが入ってくるが、、
国がまとめてしまっているところでは、国の名前が入ることもある。
また国内の人種問題で苦しんでいるところもある。

「自国民を殺した人を敬う」という行為を見せ付けられることは、
決して平和的なものではない。
しかし、問題は、行為ではなく、「見せ付けられる」「話題を大きくする」という部分にある。

日本は、国歌について国内でいろんな意見が上がっているが、
例えば日本の国民が、例えばフランスに対して、「おたくの国歌は物騒だから、うちと仲良くしたいなら変えてよ!」とは
いわないし、逆に言われる筋合いもない。

靖国参拝問題は、参拝の本質とは別に火種を大きくすることに(おそらく両国に)問題があるのだと思うが、
なぜ、火種を大きくしなければいけないのか。
その点が、見えてこない。

とにかく、「国」という単位で物事を考えると、ある意味個人を超越した
国民性という認識が生まれるもので、それらはよい印象ももたらすことがあれば、悪い印象をもたらすこともある。
しかし、かならずしも本質をついたものではなし、
国同士の外交に携わる人がかならず、国民性を代表しているかといったらそうではないことのほうが多いだろう。

日本人は勤勉で見習うところが多い!といわれたら、自分がそれほど勤勉でなくても、嬉しくなるだろうし、
逆に、日本人にはずるがしこい印象がある、と言われたら、自分自身もずるがしこく思われているのかと悲しくなるだろう。
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by stafy77 | 2006-04-27 00:00 | ニュース、イベント記事
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