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自分と他人の区別

当たり前のことかもしれないけれど、
世の中で自分が知ることのできる情報は、
すべて、自分の知り得たことでしかない。

テレビやニュース、他人の持っていたものでも、
自分が知る段階で、目や耳を通して、、また、脳の何らかの
フィルターを通して、自分ナイズされてしまう。

ということは、
人と接するということは、他人という未知の領域に踏み込むことと同時に
そこで知り得た情報はすべて自分の一部になるということだ。

だから人は、世の中の情報に、「因果」を見つけるのだろう。

自分はここ10日ほど、、今年から始めたスケジューリングがうまくいかなくなってしまった。
環境や仕事が大きく変わってしまったせいもあるだろうし。
「それが自分にとって本当に自然なこと」になっていなかったということもあるだろう。

そして、つい二日前、上司が自分にこういった。

「君、当たり前のことかもしれないけれど、スケジューリングをもう少し精密に
やった方がよいよ」
 ...と

スケジューリングとは、個人的なことだと思っているので、どんな方法でしているかとかは
もちろん公言していない
 上司は、自分が今年からやっている新しい方法のスケジューリングについては知らないし、
ここ10日ほど、きちんとできていなかったことなど知るよしもない。

 その間、特に、スケジュールに関して上司とトラブルがあった記憶もない。
 では、なんで、上司はそんなことを自分に言ったのか…

 普段から、上司の目から見て、自分はそれができていないと思っていたのか…
 それとも、自分ではわからないけれど、ここ10日の間に、自分に何か変化があったのか。

 いずれの理由かはわからないけれど、
 自分での10日間の反省と、上司の言葉に、何らかの「因果」を感じぜずにはいられないのだ。

 このあたりが、自分と他人がシンクロする瞬間である。
by stafy77 | 2004-03-29 07:25 | 問題解決
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