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幸福、平和について(抽象的)

平和で皆が幸福に暮らせる世界はどうやったら作ることが出来るのだろう。

多くの宗教書、啓蒙書に書かれている通り、個人の幸せとは
「良く生きようとビジョンを持って生きる」
ことに尽きると思う。

自分の内部に抱える問題を諦めず、クリアしようと努めれば、環境に寄らず
(例え彼が人類最後の一人であっても)
その人は自己充実した人生を送ることが出来るだろう。
個人の幸福の総計は世界の幸福に繋がるはずである。

宗教が誕生してから今日にいたるまで多くの人が啓蒙書を読み、
教えを実践しようとしてきた。
そして、社会の情報量は、増加の一途を辿っている。

ということは、人類の(環境によらない)幸福の総量、または人口比での
幸福量は増えているのだろうか。

仮に、増えているとしたら、将来、戦争、災害、人口問題の末に人類が滅びたとしても
その最後は、心の中は比較的穏やかなものになるような気がする。

増えておらず啓蒙が役に立っていないなら、人間そこまでパワフルではなかったという
ことか。

自分自身については、啓蒙書を読み方法は漠然とわかっても
具体的な実践にはいたっていないから、世にはそんな人が大半なのかもしれない。

「良く生きること」は、善悪の判断や地球人の総意を元にしない。
昔から、何人もの軍人、武将が立派な人物として崇められてきたし、
彼等はその時代を作り駆け抜けた。
武器をもって戦場を生きることが「良く生きること」である人もいる。
つまり、「良く生きること」の結果が、地球人を滅ぼすことだってありえるわけだ。

しかも上で、「地球人の総意」という言葉を使ってしまったが、そんなものはまだない。
たいてい、個人は自分が生きているステージしか意識が向かないからである。

「地球人の総意」とは何だろう。

人が自然と共存していたころは、人はなにも考えなくても生態系の一部に
組み込まれていたから、生きることそのものが
住む場所を長きにわたり維持することだった。
しかし、悲しいかな、今の人類は地に足がつかないでも
生活が出来るようになってしまった。

地球単位で生活環境の保全をすることが地球人の総意となるのかもしれない。
(将来は宇宙も含むだろうが)

国は、自らの生活を守るため、いろんな利益団体の代表が政治など活動をしているが
国同士となると根拠や基盤があやふやになるようで、
外交が国民の総意の結果になることはあまり多くない。

それが、地球人としての利益、といったら、どれぐらい実際の生活から離れたものになるだろうか。

人類の歴史は、自ら生きるために、人同士を束ね、分裂させてきた。
果たして、「地球」という単位でまとまることができるのだろうか。

SF小説は、人類が驚異を目にして「後○○年早くから準備していれば」となげくのが
お約束だが、そのようにならないことを祈る。
by stafy77 | 2006-05-10 00:00 | 問題解決
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