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なぜ、したいことが出来ず、時間がないのか?

最近、家にいる時間のゆとりが少なくなっている気がする。
最近の記事をメールで書いているのでわかるように、パソコンに向かって落ち着いてその日の出来事を思い出したり、他の人のブログを見たり、コメントしたり出来ていないし、ビデオの整理もまだである(先日それで相方と口論した)
また、早く起きて走ろうとおもっているのだがなかなか体が動かない。

これらは、みんな一人ですることだけれど、一人でする時間がないか、(早朝などは)気力がないのが現状である。

一つ目の理屈は簡単である。
早起きして、したいことを一覧からこなせばよい。
問題は二番目である。
こっちは難しい。これが簡単にできたら、無気力原因の引きこもりの人はいないだろう。

これを解決するために、ひとつ、妙な理屈を考えてみた。
名付けて「人類皆わらしべ長者論」

内容は単純。
「幸せは、すべての価値の源である」
「幸せは交換することで与えるよりも多く受け取れる」
「交換のタイミングは同時でなくてもよい。与えたものは帰ってくる」

経済とは、人々の望むもの、サービスをお金を介して交換するものだけれど、お金がないところにも、交換は発生する。そして、これは(価値←→幸せ)の変換式を使うと、ありとあらゆるものと交換することが出きる。

つまり、自分のことをしようと思ったら、人のことに目を向けなくてはいけないということである。

逆に、自分の時間は誰かによって作られていることに感謝すべきである。


昨夜は少々することがあったので、週末の準備をする相方を背にしてパソコンに向かって仕事をしていた。
相方はさぞかしいらいらしたと思う。
相方との時間を無理に使ってしまったので、作業は出来たけれど価値はマイナスである。

もし、その時相方を手伝いすっきり寝れば早起きして作業が出来たかもしれない。
この場合は、相方の満足も価値に入るから、双方特をしたことになる。
そんなことを考えると、回りに影響力の少ないこの文章を書く時間も、微妙な扱いではあるが。
by stafy77 | 2007-02-09 08:38 | ひとりごと
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